つぶやき  2003年   

1年  12/3
月経随伴性気胸という病気になって1年が経過した。
11月のはじめ頃から、この1年間を振り返って何か書きたいと思っていたが、
考えがまとまらないまま、1ヶ月が経過してしまった。
今更、何を考えても、過ぎた事はやり直せないのだから、考えても無駄、という気もするし、
同じ病気で悶々とした日々を送っている方に、少しでも役立ちそうなメッセージはないだろうか、 と考えたりもする。

とりあえず、今は元気だ。
寒さで、手術あとが引きつったような感覚はあるが、 少しくらいなら走っても大丈夫。
再発しないことを祈るばかりだが、
軽い再発があったとしても、今度は入院せず自然に治癒してくれるのを待ってみたいと思っている。

感謝します  10/6
4日、6回目となった入院から退院し、 掲示板に「退院しました」との書き込みをした。
夕方、5年前から月経随伴性気胸という方から、「お帰りなさい」って連絡をいただいた。
そして、 ホルモン療法で、副作用からか(?)鬱になってしまわる方もあるらしいと伺った。

あとで考えてみる。
その方の表現をお借りすると、 私の場合、
“発症から1年足らずで月経随伴スペシャルコースを達成し、ジェットコースターのような日々”
を送ったのだから、鬱になってしまう可能性もあったと思う。
が、鬱にならずに済んでいるのは、netのおかげではないかと。
HPに病状を載せることにより、自分の状況を客観的に見ることが出来き、
進行性の病気ではないのだから、そんなに悲観することはない、と思えた。
また、動けないとき、外の世界との断絶を感じずにいられたのは、
HPの掲示板や、メールに励ましの言葉をくださったみなさんのおかげでした。

職場の方々の、ゆっくり治せばいいからね、という暖かいバックアップにも支えられている。
多くの方に支えられている自分を再認識し、
“おかげさまで”と思うこの頃です、ありがとうございます。

何故?  9/10
また、気胸を再発している。
何故?という言葉しか浮かんでこない。

9月2日に退院する際、すでにその兆候はあった。
主治医のM先生は、「再発したら何度でも診てあげますから。」と言われた。
これには、「そんなに何度もイヤですよ。」と明るく返した。
前回の入院までの主治医のT先生がみえて、聴診器で胸の音を聞き、
「そんなに気を落とさないで、きっと大丈夫ですから。」と言われ、そっと肩を叩いてくたさった。
「ありがとうございます。」の言葉しか出てこない。
先生がみえなくなってから、何故か涙が出て止まらない。

患者の話を聞くのはとても大変だし、難しいと思う。
患者にとって医師は唯一の存在だが、医師にとって患者は何分の一かの存在だ。

以前、T先生の外来診療の際、診察室の構造上、前の患者さんとのやりとりが聞こえてきた。
ちょっとボケの始まったおじいさんらしく、先週1ヶ月分貰った痛み止めの薬がもう無いと言ってみえる。
先生は、もう飲んでしまったんですか? 他の場所に置いたのかもしれませんよ、
私もしょっちゅういろんな事を忘れますから、と返してみえた。
すると、おじいさんはまた同じ事を言われる。
先生がまた返事をされる。
予約診療の時間が遅れていく。
でも、いいか、と思う。

強くなりたい   8/19
6/22に、“強くなりたい”と書いたものに、さるさる団のひでさんからコメントをいただき、改めて考えてみました。
私が欲しいのは、自分を見失わない前進する力。
ひでさんのお母様が、「強く生きてください」 との言葉を残されたとのことです。
今、私が息子たちに何か伝えておきたいと考えるなら、やはり、
“ 自分らしく生きる強さを持ち続けてください。” という言葉になると思います。
自分を大切に生きて欲しいと思います。
自分を大切に生きられる人は、他人も大切にできると思うから。
誰もが自分を大切に生きて欲しいと思います。
そうすれば、犯罪に走ることも無いでしょうに・・・

過ぎた時間    7/13
イタリアのサッカー、セリエAで活躍する中田英寿さんが、かつて小林成美さんのインタビューに答えた言葉。
「終わった試合にこだわるより、次のゲームのことを考えたい。
反省は必要だけど、過ぎた時間は取り戻せないんだからね。」
サッカーの試合以外でも、常に最善を尽くしてきた彼だからこそ言える言葉だ。
その時々の判断がbestだったという自信に満ちている。

体調が思うように戻ってこない。
手術をしたのは失敗だったのでは?という考えが頭をもたげてくる。
だけど、あの時点では、やはりbestの判断だったはずだ。
情報不足だった感は否めないが、過ぎた時間は取り戻せない。
次を考えよう。

逆風  6/22
アメリカ大リーグで打撃絶好調のイチローの談、
「(打撃)感覚を失ったとき、結果が出ないときに、どういう自分でいられるのかが一番大事だと思う。
例えばそういうときに1打席目で結果がでないと『 きょうはダメか』という心理になりやすい。
でも、そんな苦しさの中でも決してあきらめない姿勢が、何かを生み出してくれるきっかけになる。」
苦境に立ったとき、粘り強く難局を打開しようとする自分を確認して安心するのだと言う。
「”逆風”は嫌いではない。 あった方が有り難い。
どんなことも”逆風”がなければ次のステップにいけない。
そういうのは大歓迎ですね。」    (共同)

私はと言えば、もちろん逆風はない方がいい。
もちろんと、言い切れてしまうところが、ちょっと情けない気もするが、
苦境に立ったとき、粘り強く難局を打開しようと努力できない自分を再認識して、自己嫌悪に陥る。
まず、ここから抜け出すのが一苦労だ。
強くなりたい。

不安だったけど  5/6
ちょうど2ヶ月ぶりの、出勤です。
正直、ちょっと不安でした。
まずは通勤。
退院後、車で10分以上の遠出(?)をしたことがない。
満員のJRと地下鉄で、気分が悪くなったりしないだろうか?
でも、取り越し苦労でした。
私って、けっこう元気になってるみたいです。
地下鉄の名古屋駅のホームの女性専用車両の乗り場で、
2ヶ月前と同じ駅員さんが、カチンコチンと(?)にこやかに勤務してみえるのを見て、
なんだかうれしくなって、心の中で、
帰ってきましたよ、またよろしくお願いします、
って、ご挨拶しました。
職場でも、暖かく迎えてもらえました。
仕事の方も、何人かで分担して進めてもらい、思ったより片づいていました。
休みボケで、うまく仕事モードになれるか心配でしたが、これも何とかなりそうです。
もうひとがんばりしてみます。
病室でスケッチしたガーベラ

もうこれで   4/23                            
昨日、退院した。
これまで3度の退院は、日柄など全然気にしていなかったが、
実家の母に「無頓着なのは、あなたくらい。」と言われ、
義父も、病室へ日柄を調べて持って来てくれた。
私自身、もうこれで打ち止めにしたい、というものあり、昨日は大安吉日。
気休めですが.....

4月1日(火)
私が入院している外科に呼吸器外科が専門の先生が1名増員になる。

2日(水)
主治医の先生と新しくみえた先生から、夫と共に手術の説明を聞く。
やはり、月経随伴性気胸というのはかなり希な病気らしく、 報告例は少ないとのこと。
手術は開胸手術で、肋骨の間を広げ、
横隔膜の損傷に人工の皮膜を縫いつけ空気が通らないようにしてしまうというもの。
希な病気であるにもかかわらず、主治医の先生は何年か前に同様の手術の経験がある。
この方法で手術すれば、ほぼ再発はないとのこと。

4日(金)
個室へ移動。
朝から頭痛がして、だんだん熱が上がり37.8度になるが、予定どおり手術を受ける。
手術室へ運ばれ、後はまな板の鯉。
麻酔科の先生が脊髄からの部分麻酔の効きを確かめられた後は何も分らない。
病室に戻り、付き添ってくれていた家族と話をし、夜の付き添いは要らないからと言って、そのまま翌朝まで眠ってしまった。

5日(土)
実家の母が朝から様子を見に来てくれる。
38度前後の微熱が続き、1日中ベットでぼんやりと過ごす。

6日(日)
体に繋がっていた全てのチューブを外してもらう。
先生に、どんどん動いてくださいよ、とハッパをかけられる。
が、動けない。

7日(月)
背中に床擦れができてしまう。
動かなかった証拠だ。
とにかく1日中がんばって起きていて疲れた。

8日(火)
手術以来の背中からのモルヒネの痛み止めがなくなる。
背中(17cm切ってある)と胸(横隔膜のあたり)が、とにかく痛い。
飲み薬の痛み止めだけでは我慢できず、座薬を使う。
夕方、様態の急変した患者さんを個室に入れたいとのことで、急遽4人部屋へ移動。
もう少し個室に置いて欲しかった。
夜、手術以来お通じがないので、下剤をもらう。
(2錠持ってこられたが、1錠にする)

9日(水)
昨日、私のいた個室に入られた方が亡くなられた。
3月中頃、同室にみえた方だ。
胃癌の手術を受け、一旦は退院されたが、小腸に転移し抗癌剤での治療を始められ2週間程だった。
本人には、癌だと知らせてなかったようで、家族がずっと抗癌剤の使用をためらっており、
病状が進み、とても辛そうだった。
だけど、トイレへは歩いていかれており、お声も元気そうだった。
結局、抗癌剤の投与を始めたのだが、 あまりに早い気がする。
何が正解かは分らない。
カーテンを隔てただけの隣のベットで、先生がお話しされるので、聞こえてしまう。
ほんとは、全て個室にしてもらえるとよいのだが。
・・
下剤が効きすぎ、1日中お腹かシクシク痛い。
(2錠飲まなくて正解)
手術の痕はズキズキ痛むし、散々の1日。
夜、同室の盲腸で入院している4歳の男の子が、何度も起きて泣くので眠れない。
(お母さんかおばあちゃんが1日中付き添ってみてるので、女性の部屋にいる)

10日(木)
新しくみえた先生が月経随伴性気胸について調べてくださった 「アナウス」という医学雑誌の2003年3月号のコピーをいただく。
フランス・パリの病院で(たぶんそうだと思う、全て英語で解らない点が多々)、10年間に10例。(少ない)
内、私と同じように横隔膜に損傷があったのが5例。
その内3例に今回私が受けた手術を行い、 再発はない。
・・
痛い、痛み止めの注射をしてもらったので、昼間眠い。

11日(金)
やっと、少し体調が戻ってきたような気がする。
回診で、手術のホチキスを外してもらう。
昨日撮ったレントゲンについて、
主治医の先生は、胸水が溜まっていますが、これは術後の癒着を促すには好都合で、順調です、と言われるが、
新しくみえた先生は、ぼんやりとしてかんばしくないですね、と言われる。
同じものを見て、なんでこんなに違うのか?
主治医の先生を信じることにする。
次の生理がきて、再発が無いのを確認してから退院にしましょう、と言われる。
夜、同室の男の子が、夢でガーゼ交換はイヤだと30分おきくらいにうなされている。
かわいそうなのだが、たまらない。

12日(土)
寝不足で、考えがまとまらない。
何もかも投げ出したくなる。
(投げ出せるものなど何も無いのに)
病室のカーテンで仕切られた狭い空間がとても息苦しい。
精神的に追い込まれてる気がする。
回診にみえた主治医の先生に、できるだけ早く退院したいと、お願いする。
「明日、抜糸をして、月曜日にレントゲンで確認して順調なら退院してもいいですよ。
今日は、外泊してもいいですから、お家でゆっくり休んでいらっやい。」
と言われる。
ちょうど、実家の母が見舞いに来てくれたので、車で家まで送ってもらう。
新緑が眩しい。
義母に食事の支度を頼み、新聞を読んだり、PCで遊んだり。
夜は、久々にゆったり眠れた。

13日(日)
病院へ、回診の時間までに戻り、主治医の先生に抜糸してもらう。
暖かな日差しに誘われて、始めて病院の中庭へ出てみた。
ドウダンツツジが、白い花を付け、ケヤキの柔らかな新緑から木漏れ日が差す。
本を読んだり、患者用の食堂で胡蝶蘭をスケッチしたりと、ゆったりと過ごす。
夜、男の子がうなされることも無く、ゆっくり眠れた。

14日(月)
回診時、先生の方から、
「レントゲンの結果を見て退院してもいいですが、もう少し様子を見てはどうですか?」
と言われ、内心ほっとする。
土曜日には、とにかくその時点の状況を変えたくて、退院したいと言ってしまったが、
家へ帰ると、まだ歩くのがやっとなのがよく分った。
「わがままを言って申し訳ありませんが、しばらくよろしくお願いします。」
とお願いし、退院は延期。

15日(火)
夕方、先生から「手術後のレントゲン等をお見せします。」と言われる。
これまでに聞いていることだが、レントゲン、手術中の写真を見ながら、まとめてお話を伺う。
今回の入院当初、完全に肺が潰れてしまっていたことから、
横隔膜に新たに穴が空いているだろうと考えたが、 開胸したところ、それは無かったこと。
前回胸空鏡を使った手術のあとは、きれいに塞がっていること。
とにかく、どこからか空気が入り込んだことは間違いなく、予定どおり横隔膜をメッシュで補強したこと。
術後に胸水が溜まっているが、これがあった方が、横隔膜と肺が癒着し、空気が入るような隙間が無くなること。
胸水は2ケ月くらいで無くなるだろうこと。
次の生理がきて、再発がないのを確認してから退院するのが望ましいこと。


22日(火)
退院。
3月にホルモン注射を打ったので、今回の生理は来ないようだ。
再発の有無を確認できなかったが、とりあえず退院する。

今回、手術を受けたのが、最善だったかは分らない。
月経随伴性気胸なので、生理のとき以外は発症しないと思っていたのに、
3回目の入院から退院して、3日目に自覚症状が出た。
3月17日に受診し、 肺が完全に潰れてしまっているレントゲンを見て、
きっと横隔膜にまた穴が空いているんだ、
ホルモン治療を受けても、何度も再発するのではないだろうか、
何とかしなくては、って思ってしまった。
手術で体がダメージを受けているのは間違いなく、騙し騙し生活していく他ない。

花の季節に    3/30                      
我が家の庭にも春がやって来た。
サンシュユ、レンギョウ、日向ミズキ、沈丁花、椿、
水仙たち、ムスカリ、ショカッサイ、ヒマラヤユキノシタ、福寿草、わすれな草、君子蘭、ヒヤシンス、フユシラズ、カランコエ、パンジー、ビオラ、
みんなみんな、柔らかな春の日差しを受け、うれしそうに佇んでいる。
そんな花たちに囲まれて、一緒に日向ぼっこをするが私の一番心安らぐひととき。

11日
退院。

14日
晩に右肺下部に痛みがあった。

15・16日
少し動くと息切れし、間違いなく再発していると思ったが、
済ませてしまいたい用事があったので、病院へ行くのは17日の月曜日まで延ばしてしまった。
夜、横になると右の胸空内で縮んだ肺が動いているような気がした。
気の性だと思いたいのだが、かなりヤバイなと思ってしまう。

17日
レントゲンを撮ってもらうと、右肺がミカンくらいの大きさまで縮んでしまっている。
その場で、脱気の処置を受け、即入院。
あまりに早い再発に、先生も困惑気味。
どうしたら発症を抑えられるのか。

結局、生理の周期等を考慮してもらい、4月4日に再手術を受けることにした。
2月の手術では、穴の目視できた横隔膜の一部(5×3cm位)を切除したが、
今の痛みからして、そこ以外にも子宮内膜があり、また穴が開いてしまったとしか考えられない。
今度の手術では、横隔膜全体をガーゼのような人工の膜で補強してもらうことになる。

週末に外泊の許可をもらい、トロッカーを付けたまま家帰ってきた。
やっぱり家はいいな〜。

私、担当の看護師さんに、「飄々として、明るくていいですね。」って言われた。
落ち込みたくないし、 死なないと高を括っているから。

右自然気胸再発(胸膜子宮内膜症による)  3/13      
というのが、今回の入院の診断。
3月6日から11日まで入院した。
手術を受けなかったので、今回の気胸の原因となった胸膜の穴は、とりあえず閉じている状態。
何もしなければ、月経に伴って、また子宮内膜が剥離し、胸膜に穴が開き、気胸を起こすだろう。
ということで、ホルモン注射により、月経を抑えてしまうことにしたわけだ。
副作用が心配だが、毎月気胸を再発し、入院するわけにはいかない。
心配したらきりがない。
とりあえず、今週中は休養だ。

つぶやき  3/12
このコーナーは、軽いエッセー風にまとめたいと思っていたのに、 最近、どんどん重くなっている。
軌道修正したいな、と思っていた矢先、また入院してしまった。
月経随伴性気胸という病気、どうやらしばらくつきあっていかなくてはならいようだ。
ごく希な病気のようであり、ネット上でも情報量は、僅かしかない。
Googleで検索すると、このコーナーがけっこう上位に掛かってくる。
誰かの参考になれば、と思うので、また少し記しておこうと思う。
軽くならないな〜。

基本的なこと   2/16
入院中、病室の窓から朝陽が昇るのを見ながら考えたこと。
それは、「基本的なこと」。
生きている上で、一番基本的なこと、それは、生まれて死んでいく、ということ。
では、生まれてしまって、まだ死んでいかない人間にとって、基本的なことって何だろう。
入院というのは、自分を取り巻く雑事から切り離され、自分自身を見つめ直すとても貴重な機会だ。
(社会的な地位のある人は無理かもしれないが)
まして、全身麻酔で手術を受けるとなると、自ら呼吸することすらできなくなる。
そこで、考えてみる。
手術の間も、私は生きており(生かされており)、世界は存在する。
麻酔が醒めれば、私は存在し、世界も存在する。
眠っているときと、何が違うのだろう?
同じような気もするし、まったく違うような気もする。
古典的な命題だ。
麻酔から醒めてゆくというのは、もう一度、生まれてゆくみたいだ。
呼吸をし、意識が戻り、食べ、排泄する、という生活の基本が、少しづつ自立的にできるようになる。
死んでいくということは、これができなくなること。
死の速度は、人それぞれ。
入院中も、夫婦、親子の繋がりは、身近に感じる。
そして、多くの人々に支えられて生活している。
退院すれば、地域、職場など活動の場は広がる。
これも、生きてきた時間のミニチュアのような気がする。
基本的なことに、枝葉が一杯付いて、毎日の生活がある。
どうせなら、瑞々しい緑と小さくても凛とした花を付けたいと思う。

月経随伴性気胸   2/8
1月20日
1週間くらい前から、息苦しさを感じたていたので、昼休みに職場近くの内科医院で胸のレントゲンを撮ってもらった。
やはり、気胸を再発しており、今すぐ入院しなさい、との診断。
職場へ戻り、診断結果を報告、長期の入院になると思うので、仕事を引き継ぎ、家へ帰ったのは夕方になってしまう。
入院に必要な物をもって、前回入院した病院へ。
すぐに、トロッカーによる吸引をしてもらい、 2度目の入院となった。
昨年11月に1度目の入院をし、退院の際、内科の先生から、
「再発するようなら今度は手術をした方がいいですよ。」
と言われていたので、今回は気胸になっていると分かった時点で、 手術をしてもらうことに決める。
月経随伴性気胸の場合、ホルモン療法という手もありますが、副作用、再発率等を考慮し、手術にした。
CT検査では、通常の自然気胸の場合にみられる、肺胞の先の小さくて薄い風船のような弱い袋(ブラ)が破れているようすはみられない。
肺の下部、横隔膜との境付近に何か有りそうなので、やはり子宮内膜が横隔膜に転移しておこる月経随伴性気胸ではないか、との診断。

28日
手術。
全身麻酔で、胸空鏡を使用し、病室を出てから戻るまで4時間半の手術だった。
肺胞には異常はなく、横隔膜に子宮内膜が剥離した穴がいくつか開いており、切除してもらった。
やはり、 月経随伴性の気胸だった。

手術後3日間は、熱が上がったり、ちょっとしんどかったですが、5日めまで個室に入れていただいたのでとても助かった。

2月8日
退院。

病院の先生、看護師さんはじめスタッフのみなさん、お世話になりました、ありがとうございました。
家族の心遣いにも感謝。
何度も病院を訪ねてくれた実家の母、親不孝でごめんね、ありがとう。
手術してくださった外科の先生、土曜も日曜も毎日、病院にみえた。
患者としてはとても心強かったのですが、いったいいつお休みしてみえるのでしょう。

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